中央本線419列車空襲とは

 419列車空襲とは、1945(昭和20)年8月5日、浅川駅(現・高尾駅)を発車した電気機関車が牽引する8両編成の新宿駅発長野行きの419列車が、発車して間もない12時20分ごろ中央本線湯の花トンネル(全長約180㍍)の東側出入り口で、4機のアメリカ陸軍の戦闘機P51の銃撃を受けた空襲です。

 

f:id:ressya419:20181228155332p:plain

乗客・森正蔵が描いた銃撃の模様

 超満員だったこともあり、40名近くが即死、結果として52名が亡くなり、133名が負傷しました(警視庁調べ)。しかし、収容先で翌日以降亡くなった方を含めると60名以上の方が亡くなったと推定されます。

 

 大戦末期、艦載機(グラマンF6Fヘルキャット、チャンスボードF4Uコルセアなど)やP51などの小型機は、列車に対して頻繁に銃撃をあびせました。その結果、各地で以下のような被害がでました。

 

西鉄大牟田筑紫駅列車銃撃空襲(福岡):8月8日、P51による上りと下りの2つの列車に対する銃撃で60名以上が死亡、100名以上が負傷。

 

山陰本線大山口駅列車銃爆撃(鳥取):7月28日、艦載機による銃撃とロケット弾攻撃で44名が死亡、31名が負傷。

 

東北本線小金井駅列車空襲(栃木):7月28日、P51による118列車と駅への銃撃で、乗客と駅にいた人々の合わせて31名が死亡、40名以上が負傷。

 

 このように419列車空襲は単独の列車に対する銃撃では、最大級の犠牲者を出しました。